オペラ対訳プロジェクト

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シューベルト《冬の旅》全曲 フィッシャー=ディースカウ(1962)

Video Type
一般
Published at
2026年2月13日 20:00
動画長さ
1:11:30
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96
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-
エンゲージメント率
4.4%
データ確認日時
2026年2月20日 03:26

動画概要

歌詞対訳字幕付き。フランツ・シューベルトの歌曲集《冬の旅》全曲。ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの1962年録音です。

0:00:00 (1)おやすみ
0:05:20 (2)風見
0:07:05 (3)凍った涙
0:09:35 (4)凍りつき
0:12:35 (5)菩提樹
0:17:05 (6)雪解け水
0:21:25 (7)流れの上で
0:25:05 (8)振り返り
0:27:35 (9)鬼火
0:30:10 (10)休息
0:33:10 (11)春の夢
0:37:05 (12)孤独
0:39:50 (13)郵便屋
0:42:05 (14)灰色の頭
0:45:00 (15)カラス
0:47:05 (16)最後の希望
0:49:25 (17)村で
0:52:40 (18)嵐の朝
0:53:30 (19)幻惑
0:55:05 (20)道しるべ
0:59:15 (21)宿屋
1:03:50 (22)勇気を
1:05:15 (23)並んだ太陽たち
1:07:55 (24)ライアー廻し

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▼訳者より▼
 私の方で運営しています「梅丘歌曲会館~詩と音楽」、いろいろ事情がありまして現在休眠中でありますが、ここからけっこうな数の歌詞をこちらの動画対訳にご利用頂いています。ただ歌曲会館の方ではCreative Commonsの仕組みを取っておりません関係で、二次利用の話ができている私の訳したものだけは自由にお使い頂いておりますものの、全体の20%くらいある他の方の訳されたもの(著名曲多)は自動的に現在の著作権法が適用され、訳者の許諾がない限り他への転載はできないことになってしまっており、こちらの動画対訳でも私の訳したものでない曲には著作権が発生しないとされているChat-GPTによる訳詞が多く使われるようになりました。Chat-GPTもまあ学習を重ねてだいぶん「正しい」翻訳はできるようになっているであろうことは認めますが、やはり歌い手の情感を聴き手に伝えるような味わい深い訳になっているかというとまだまだ修行が足りないように思います。いやそもそも肉体をもたないAIに恋の悩みや荒野をさまよう苦しみが分かってたまるか というのが私の偽らざる思い。そこでこちらのYouTubeサイトでシューベルトの「冬の旅」(梅丘では私の訳でないものが掲載)の動画対訳を作られるときにはぜひCaptGPTじゃなくて私の最新訳を使ってくださいとお願いしましたところご快諾を頂きましたので、どうせ新しく作るのであればChatGPTには真似のできない(といいつつWEBで公開すればすぐマネされてしまうのではありますが)画期的なものを作ろうと2カ月ばかり格闘してみました。ちょうどオペレッタで特定の音盤を聴きながら訳詞をそれに最適化する、という試みをしておりましたので、こちらも動画対訳の最有力候補、1962年録音のフィッシャー=ディースカウ/ムーアのEMI盤を聴き込みながらその最適化訳詞を作ってみました。心がけたことは「ウィーン気質」アッカーマン盤最適化版のところでも書きました通り、①歌詞の繰り返しを再現し、メロディと言葉の流れにできる限りシンクロさせて訳を作ること ②歌い手の解釈や演技に合わせて最もしっくりくる言葉を選んでつけること。ですから今回出来上がったのは飽くまで1962年のフィッシャー=ディースカウ/ムーア最適化版であって、、ホッターやプライなど別の歌手の歌で作るときは最適化版も別のものになるということ。実際作った訳詞をフィッシャー=ディースカウとは別の歌手の録音で聴きながら目で追っているとたくさん手を入れたくなるところが出てきます。逆に面白かったのは62年録音で最適化したつもりだったのですが、もっと歌の表情付けの濃い79年のバレンボイムとの録音や85年のブレンデルとの録音の方がこの訳詞、私にはよりしっくりくるように思えたことです。彼の表現したかった「冬の旅」の世界を日本語で十全に表現できたのかも知れない、とひとり独善的な悦に入っているのでした。

▼この訳詞について▼
 と、Chat-GPTをいたずらに敵視した今回の「冬の旅」対訳プロジェクトではありますが、敵の良いところは徹底して真似てみようということで、WEB上にある日本語訳や英語訳、さらには解説やらありとあらゆる取得可能な情報を搔き集め、著作権の関係でWEB上にないCDリブレットの対訳などもできるだけ集めて比較分析しつつ今回の翻訳に生かして見るというChat-GPT的な手法を試みてみました。すべての創作活動は「模倣」から始まるということの身を以ての体験です。従って私の中では自分が目にすることのできたどの翻訳よりも「良い」訳が作れたと思っております。Chat-GPTにないのはまさにこの作り手の主観(思い入れ又は自己満足とでも言い換えましょうか)、訳詞もひとつの創作活動(二次創作)なのでこれってとても重要な要素のように思います。さてこの訳者の思い入れが受け手の皆さんの共感を得られるかどうか、それは公開してみないとなんとも言えないところです。旧態依然の「対訳」を脱した新たな二次創作「訳詞」の在り方が生み出せるかどうか、まさに今ちょどその時期に来ているような気がします。
 さて、参照したCDのリブレットでは、ドイツ文学の泰斗がいずれも気合の入った訳をつけています。目にするのが多かったのは石井不二雄氏(1936-1985)のものと喜多尾道冬氏(1936年生)のものの2つでしたがこれらは実に対照的。石井氏のものは伝統的なドイツ語詩の翻訳のスタイルを踏襲してより芸術歌曲に近い味わい、それに対して喜多尾氏のものはもう少し自由にくだけたストーリー重視の散文詩的なもの、目で追って歌詞の内容を理解するには親切なのですが歌声と一緒に聴くと(私だけかも知れないですが)かなりの違和感があります。ひとつには石井訳は少なくともミュラーの詩のリズムはかなり強く意識して守っているのに対し、喜多尾訳はそこを相当崩してしまっていること、それとドイツ語と日本語の言語構造の違いからメロディと日本語詞との乖離が著しく大きくなってしまっているため、頭で個々の曲の全体像を理解する分には良いのですが、耳で聴き、五感で楽しむときにこの訳詞ではちょっと難があるものになってしまっているのです。では石井氏の方が良いか というとそうも言えないのが悩ましいところ。それが私が新しい訳詞を作る大きなモティベーションになっています。あとは一回り上の独文学者&詩人の生野幸吉(1924-1991)の手になる訳詞がハンス・ホッターの1969年録音のCBS盤についておりました。これは古めかしい言葉が並びますがどこか格調高い雰囲気を漂わせ、渋く枯れたホッターの歌声と妙にマッチしてなかなか素敵なものがありました。ハンス・ホッターの「冬の旅」訳詞最適化版を作るならこの生野訳を下敷きに作るとよさそうです。
 以上3つの訳詞は著作権の関係もありWEB上には載っておりませんが、人気の曲目でもあり梅丘の甲斐貴也さんのものをはじめ結構な数の全曲の訳詞が公開されています。面白いのはその大部分が上述の石井不二雄訳の影響を強く受けていること。おそらくChat-GPTがWEB上でこれらを学習して訳詞を回答したらオリジナルの石井訳にそっくりなものを吐き出して来たのではないかと思うほどの強力さです。ただ皆さんそれぞれにいろんなところで工夫を凝らしているので並べて見ると大いに参考になります。特に石井訳が文学者目線で、この歌詞を「詩」として見ている面が強いのですが、実際にこの曲を演奏する方々の「歌詞」としての目線とワードチョイスは時に新鮮で、けっこう私も参照(というか「真似」これではChat-GPTを責められない?)させて頂いたところがあります。やはりメロディと歌の詞のタイミングがシンクロしてくれないと、その場で切々と訴えているものが何なのかがよく見えて来ないのです。ここがドンピシャにハマることが心に響く訳詞の真骨頂ではないかと思うのですが皆さんはいかがでしょうか。特に朴令鈴さんや淡野太郎さん、糸洲義人さん、いろいろな箇所で参考にさせて頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。
 歌える詞への訳という点では、日本のリリシストにも目を向けなければ。1970年代から日本の歌謡曲シーンで数々のヒット作品をものにしてきた松本隆さんが1992年に全曲日本語詞にチャレンジしたものが五郎部俊朗さんのテナー、岡田知子さんのピアノで演奏されたもののCDを発売当時に購入していたことを思い出しました。当時はあまり印象に残らず長いこと埃を被っていたのですが、今改めて聴くとなかなか凄いと思いました。歌謡曲の世界では先にできたメロディにあとから詞をつけることなど良くあることでしょうから、この「冬の旅」の訳でも随所で「これはお見事」と思える箇所があります。ただ非常に残念に思うのはオリジナルの世界観(あるいは原詩で歌われている内容)をそのまま日本語に置き換えようとするあまりに、日本語のイントネーションの自然さをかなりの部分犠牲にしてしまわざるを得なかったところ。全体を通して聴いてみるとそんな不自然な箇所の方が気になって没入できないのです。オリジナルのミュラーーシューベルトの世界をいったん忘れて、松本隆ワールドに再構築してしまったならばもっと素晴らしいものになったのではと思います。明治の唱歌の時代の大和田建樹や浅草オペラの小林愛雄、あるいはここで何度か取り上げました昭和の名リリシスト野上彰のように自分の詞世界の方にメロディを引っ張ってしまうことが必要なのではと。歌詞に書かれた細かな設定を合わそうとするがゆえに歌詞が日本語として不自然に聴こえてしまうというのはどう考えても本末転倒のように思えます。
 この訳詞と訳者より、本来であれば「梅丘歌曲会館」の方に掲載すべきところですが、冒頭に述べましたように現在掲載ができませんので管理人さんのご厚意でこちらの方に掲載させて頂きます。幸いそのためにクリエイティブ・コモンズ扱いとできましたので色々とご活用頂けるとありがたいです。

#Schubert#Winterreise#DietrichFischerDieskau

This recording is considered to be in the PUBLIC DOMAIN under the copyright law in Japan
シューベルト《冬の旅》全曲 フィッシャー=ディースカウ(1962)