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函館のたつみ食堂のご主人が逝去されました2026年6月2日
- Video Type
- 一般
- Published at
- 2026年6月5日 17:01
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- エンゲージメント率
- 2.1%
- データ確認日時
- 2026年6月12日 05:41
動画概要
函館の名物食堂と店主山田征勝の歩み
北海道函館市東川町に位置する『たつみ食堂』は、連続無休営業10000日という前人未踏の記録を達成した、函館を代表する老舗食堂です。その歴史と、惜しくも今年6月2日に85歳で亡くなられた店主・山田征勝さんの人柄を、地元の人々から愛され続けた食堂の軌跡を通じてお伝えします。
創業から現在まで、51年の歴史
昭和後期、山田征勝さんはラーメン店としてたつみ食堂を開業しました。定時制高校を卒業した後、電気屋での仕事を経験したという、ユニークな経歴を持つ征勝さんでしたが、飲食業への修行経験はありませんでした。にもかかわらず、「俺は頭がよかったからさ」という山田さんらしい言い方で、メニューから味付けまですべてを自分で研究し開発したといいます。開業の2年後、今の物件が売りに出ていることを知り、その場所に移転すると、丼ものや定食などメニューを次々と充実させていきました。
函館市街の中心部から距離がある立地でありながら、山田さんは自らの経営戦略で知名度を高めていきました。ジャンボカツ丼やジャンボラーメンといった大盛りメニューを導入し、時間制限内に食べ切れれば無料という企画を行ったことで、テレビや新聞が取材に訪れるようになりました。志村けんや大泉洋といった有名人も足を運ぶようになり、やがて函館三大食堂のひとつとして知られるようになっていったのです。
「休まず、安く」の経営哲学
山田さんが連続無休営業を始めたきっかけは、1993年の腰の損傷です。半年間の入院を余儀なくされた山田さんは、病院のベッドで深く思い悩みました。「せっかく来てくれたお客さんをがっかりさせてしまった」という罪悪感と、休業中にお客さんが離れてしまうことへの危機感からでした。退院後、「休まずで安くやること」を決断した山田さんは、最初は1ヶ月の試験的営業のつもりだったといいます。しかし、その決意は27年4ヶ月続き、2021年12月12日についに連続無休営業10000日という記録を達成したのです。
この間、東日本大震災で材料の入手が困難になった時も、冷蔵庫にあるもので対応し、停電時にはロウソクをつけて営業を続けました。子どもたちの結婚式の日も、四人全員の結婚式の日も店は開けました。旅行に連れて行ってほしいという子どもたちの願いを叶えてあげることもできない、そうした家族への申し訳なさも心に抱きながら、ひたすら営業を続けたのです。
山田さんはまた、複数の店舗を同時に運営する野心的な経営者でもありました。函館朝市や五稜郭、函館駅前の大門横丁でも店を営み、大門横丁の『ラーメンたつみ』は16年間続きました。それらを並行して運営していた時期は、朝からこの店で営業し、夜8時に閉めると従業員に引き継いでラーメン屋に駆けつけ、深夜12時まで調理をしていました。帰宅は夜中の1時、そのまま寝ると朝の仕込みが始まるという、常人には到底実行不可能な生活スケジュール。酒もタバコもやらず、遊びにも出かけず、ひたすら働き続けるという人生を選んだのです。
人情とユーモアに満ちた店主
多くの取材者を驚かせるのは、山田さんの独特なユーモアと、とぼけた物言いです。あることないこと、あるいは本当か嘘か定かでない話を次々と話し、取材者を困惑させながらも笑わせてしまう。その一方で、自分の人生と経営哲学についてはとても真摯に語りました。「人間、暇があったらダメなんだ。お金があってもなくても、暇があったら絶対ダメ。いろんなこと考えて、悪いことするから」という言葉には、生涯働き続けることへの強い信念が表れています。
また、山田さんは自分の成功をけっして自分だけの力だと考えていませんでした。特に、20年以上一緒に働いてくれたベテラン女性従業員のことを心から信頼し感謝していました。「あの人が一生懸命やってくれたから、今でも店をやれてんだ。本当に。もう自分の店だと思ってやってくれてるから」という言葉は、経営者としての器の大きさを示しています。その従業員も、お客さんとの気さくな会話を支えとしながら、店で働き続ける選択をしました。
10000日達成から最後まで
10000日連続営業を達成した2021年12月12日は、全国から駆けつけたお客さんで店は満杯になりました。テレビの取材も入り、娘さんたちも手伝いに来る中、ベテラン従業員の姿もありました。8000日を過ぎた頃から体調の不調を感じていた山田さんでしたが、この大きな目標を達成するために、最後の力を振り絞ったのです。
記録達成後、山田さんは新しい経営形態へシフトしました。定休日を設けて、無理のない営業を心がけるようになります。しかし、厨房に立つことへの執着は変わらず、ラーメン屋の営業をやめてから約1年後の2026年6月2日、午後6時59分、人生の幕を閉じました。
地域に根ざした食堂の意味
『たつみ食堂』が50年以上愛され続けたのは、単に安くボリュームのあるメニューを提供していたからではありません。山田征勝さんという個性の強い店主と、その信頼する従業員のコンビが作り出した、独特の雰囲気と人間関係がありました。毎日営業することで、地域の人々は「明日もあの店で会えるだろう」という安心感を持つことができました。その積み重ねが、函館の食文化を支え、地元の人々の人生に根ざした存在になっていったのです。
山田征勝さんが亡くなった今、『たつみ食堂』は新しい時代へ向かいます。ベテラン従業員との二人三脚で、あの独特のおもてなしと、「安く、休まず」という哲学が継承されていくのか。函館の食堂文化の歴史に大きな刻印を残した、店主の想いを背負いながら。
北海道函館市東川町に位置する『たつみ食堂』は、連続無休営業10000日という前人未踏の記録を達成した、函館を代表する老舗食堂です。その歴史と、惜しくも今年6月2日に85歳で亡くなられた店主・山田征勝さんの人柄を、地元の人々から愛され続けた食堂の軌跡を通じてお伝えします。
創業から現在まで、51年の歴史
昭和後期、山田征勝さんはラーメン店としてたつみ食堂を開業しました。定時制高校を卒業した後、電気屋での仕事を経験したという、ユニークな経歴を持つ征勝さんでしたが、飲食業への修行経験はありませんでした。にもかかわらず、「俺は頭がよかったからさ」という山田さんらしい言い方で、メニューから味付けまですべてを自分で研究し開発したといいます。開業の2年後、今の物件が売りに出ていることを知り、その場所に移転すると、丼ものや定食などメニューを次々と充実させていきました。
函館市街の中心部から距離がある立地でありながら、山田さんは自らの経営戦略で知名度を高めていきました。ジャンボカツ丼やジャンボラーメンといった大盛りメニューを導入し、時間制限内に食べ切れれば無料という企画を行ったことで、テレビや新聞が取材に訪れるようになりました。志村けんや大泉洋といった有名人も足を運ぶようになり、やがて函館三大食堂のひとつとして知られるようになっていったのです。
「休まず、安く」の経営哲学
山田さんが連続無休営業を始めたきっかけは、1993年の腰の損傷です。半年間の入院を余儀なくされた山田さんは、病院のベッドで深く思い悩みました。「せっかく来てくれたお客さんをがっかりさせてしまった」という罪悪感と、休業中にお客さんが離れてしまうことへの危機感からでした。退院後、「休まずで安くやること」を決断した山田さんは、最初は1ヶ月の試験的営業のつもりだったといいます。しかし、その決意は27年4ヶ月続き、2021年12月12日についに連続無休営業10000日という記録を達成したのです。
この間、東日本大震災で材料の入手が困難になった時も、冷蔵庫にあるもので対応し、停電時にはロウソクをつけて営業を続けました。子どもたちの結婚式の日も、四人全員の結婚式の日も店は開けました。旅行に連れて行ってほしいという子どもたちの願いを叶えてあげることもできない、そうした家族への申し訳なさも心に抱きながら、ひたすら営業を続けたのです。
山田さんはまた、複数の店舗を同時に運営する野心的な経営者でもありました。函館朝市や五稜郭、函館駅前の大門横丁でも店を営み、大門横丁の『ラーメンたつみ』は16年間続きました。それらを並行して運営していた時期は、朝からこの店で営業し、夜8時に閉めると従業員に引き継いでラーメン屋に駆けつけ、深夜12時まで調理をしていました。帰宅は夜中の1時、そのまま寝ると朝の仕込みが始まるという、常人には到底実行不可能な生活スケジュール。酒もタバコもやらず、遊びにも出かけず、ひたすら働き続けるという人生を選んだのです。
人情とユーモアに満ちた店主
多くの取材者を驚かせるのは、山田さんの独特なユーモアと、とぼけた物言いです。あることないこと、あるいは本当か嘘か定かでない話を次々と話し、取材者を困惑させながらも笑わせてしまう。その一方で、自分の人生と経営哲学についてはとても真摯に語りました。「人間、暇があったらダメなんだ。お金があってもなくても、暇があったら絶対ダメ。いろんなこと考えて、悪いことするから」という言葉には、生涯働き続けることへの強い信念が表れています。
また、山田さんは自分の成功をけっして自分だけの力だと考えていませんでした。特に、20年以上一緒に働いてくれたベテラン女性従業員のことを心から信頼し感謝していました。「あの人が一生懸命やってくれたから、今でも店をやれてんだ。本当に。もう自分の店だと思ってやってくれてるから」という言葉は、経営者としての器の大きさを示しています。その従業員も、お客さんとの気さくな会話を支えとしながら、店で働き続ける選択をしました。
10000日達成から最後まで
10000日連続営業を達成した2021年12月12日は、全国から駆けつけたお客さんで店は満杯になりました。テレビの取材も入り、娘さんたちも手伝いに来る中、ベテラン従業員の姿もありました。8000日を過ぎた頃から体調の不調を感じていた山田さんでしたが、この大きな目標を達成するために、最後の力を振り絞ったのです。
記録達成後、山田さんは新しい経営形態へシフトしました。定休日を設けて、無理のない営業を心がけるようになります。しかし、厨房に立つことへの執着は変わらず、ラーメン屋の営業をやめてから約1年後の2026年6月2日、午後6時59分、人生の幕を閉じました。
地域に根ざした食堂の意味
『たつみ食堂』が50年以上愛され続けたのは、単に安くボリュームのあるメニューを提供していたからではありません。山田征勝さんという個性の強い店主と、その信頼する従業員のコンビが作り出した、独特の雰囲気と人間関係がありました。毎日営業することで、地域の人々は「明日もあの店で会えるだろう」という安心感を持つことができました。その積み重ねが、函館の食文化を支え、地元の人々の人生に根ざした存在になっていったのです。
山田征勝さんが亡くなった今、『たつみ食堂』は新しい時代へ向かいます。ベテラン従業員との二人三脚で、あの独特のおもてなしと、「安く、休まず」という哲学が継承されていくのか。函館の食堂文化の歴史に大きな刻印を残した、店主の想いを背負いながら。
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