歴史JAPAN Kunibo

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「豊臣兄弟」に学ぶ日本史 上杉謙信の最期 仏法に帰依し毘沙門天の化身として慈悲の行動を貫いたが飲酒過多で脳卒中となった武将  History of JAPAN

Video Type
一般
Published at
2026年5月24日 20:45
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データ確認日時
2026年5月31日 13:57

動画概要

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも注目される戦国時代。織田信長や豊臣秀吉の前に立ちはだかった強大な敵の一人が、越後の龍・上杉謙信である。宿敵である武田信玄とともに戦国時代屈指の名将と謳われた彼は、私利私欲を捨て、大義に生きた武将だった。敵対する甲斐が深刻な塩不足に陥った際、あえて塩の道を塞がなかった「塩送り」の伝説や、禅の「第一義」を重んじて12年にも及んで信玄と死闘を繰り広げた川中島の合戦など、その崇高な生き様は後世の人々を魅了してやまない。

しかし、神格化された無敗の軍神も、一人の生身の人間だった。過酷な不摂生が、彼の肉体を静かに蝕んでいたのである。謙信は戦の指揮を執る馬上でも専用の杯を手放さないほどの無類の大酒飲みだった。現代医学の視点で見れば、彼はアルコールの分解能力が極めて高い遺伝子型であったと推測される。さらに、越後の極上の酒に合わせる肴は、常に塩分の強い梅干しや味噌だけであった。アルコールと塩分の過剰摂取、激高しやすい性格、そして戦国大名としての極度のストレスは、確実に彼の血管に深刻なダメージを与えていた。飲酒や塩分過多、ストレスは高血圧などの生活習慣病を招き、高血圧は脳卒中の最大の危険因子である。

事実、謙信は41歳で最初の脳卒中(脳血管障害)に見舞われ、左足に軽い麻痺の後遺症が残った。それでも彼の長年の飲酒習慣が変わることはなかった。そして天正6年(1578年)、49歳の春。関東出陣を間近に控えた謙信は、連日の軍議のあと重臣たちと大酒をあおり、用を足しに立った厠(便所)で突如として倒れた。顔を激しく歪め、白目をむいたまま人事不省に陥った彼は、現代の医師の診断によれば再発性高血圧性脳内出血であったと考えられる。その後は言葉を発することもできず、数日後に昏睡状態のまま帰らぬ人となった。

あっけない最期だったが、これもまた彼らしい死に様だったのかもしれない。病床で長く苦しみ、弱りゆく無惨な姿を晒すことは、生涯不敗を誇った彼にとって最大の屈辱だったはずだからだ。無敗のままあの世へと旅立った謙信が急逝し、強敵であった武田信玄もすでに病で世を去っていたことで、信長を脅かす東国の二大勢力は完全に消滅した。一人の英雄の体内を巡る血圧の変化が、結果として豊臣兄弟が天下人へと駆け上がる新たな時代の扉を開いたのである。戦国武将たちのこうした人間臭い実像を知ることで、歴史のドラマはより一層深い味わいをもたらすに違いないが・・

作曲 秋山裕和
http://www.hmix.net/

#nhk大河ドラマ #豊臣兄弟 #上杉謙信
「豊臣兄弟」に学ぶ日本史 上杉謙信の最期 仏法に帰依し毘沙門天の化身として慈悲の行動を貫いたが飲酒過多で脳卒中となった武将  History of JAPAN